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テキサス共和国の樹立

 辺境の地テキサスを繁栄させるべく、スペインと後のメキシコ政府は、アメリカからの移民を誘致した。スティーブン・オースチンの斡旋で、1823年に300組が入植した。1世帯当たり4000エーカー(約16㎢)の与えられ、納税の義務もなかった。その反面、カトリックへの改宗が条件で、奴隷制憲法で禁止された。

 アメリカで起きた1819年恐慌の影響もあり、あっという間に25,000人以上が入植した。メキシコ人が4,000人なので、アンバランスである。アメリカ政府からは度々テキサス購入の話もあり、メキシコ政府はアメリカを警戒して新規入植を禁止した。さらに免税を廃止し、有名無実だった奴隷禁止を徹底しようとした。それでも、アメリカからの不法移民は後を絶たなかった。

 不満はピークに達し、アメリカ人入植者は1835年に蜂起する。メキシコとの戦いでは、サミュエル・ヒューストンの指揮の下で勝利する。翌36年にはテキサス共和国を樹立し、彼は初代大統領に就任する。

 オースチンの名前は現テキサス州の州都に、ヒューストンの名前はテキサス州最大の都市の名前になる。