曇のち晴

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本国の”毒親化”

 13植民地独立の直接原因は、イギリスとフランスが戦った七年戦争である。

本国イギリスは戦争に勝利したものの、満身創痍の状態だった。

戦場はヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ・南北アメリカと全世界に及び、

7年もの長期に及び、国の金庫は底を突いた。

本国の内閣は次々と増税案を提出し、帝国議会はそれを承認した。

僻地(植民地)でも確実に徴税するために役人と軍隊を派遣して、本気度を示した。

 

 こうした動きに13植民地は反発した。

そもそも、好き好んで税金をたくさん払おうとする人など、まずいない。

でも最大の問題は、植民地側が議論に加わる権利(参政権)がないことだった。

本国が植民地の意見を訊く機会を設けずに、矢継ぎ早に義務(税法)を押し付けるのだ。

自分たちが選んだ代表が多数決で決めたことと、独裁者が勝手に決めたことでは、同じ内容でも受け止め方は変わる。

権利を奪って、一方的に義務ばかり押し付ける姿勢に不信と警戒感が強まった。

のびのびと子育てしていた親が、急に毒親へ変化したように映ったのである。