曇のち晴

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ジョージア植民地

 南北カロライナとスペイン領フロリダに挟まれた土地は、1733年に入植の始まり、時の王ジョージ2世の名前にちなむ。

 博愛主義者で構成される評議委員会によって創設された植民地は、借金返済ができずに投獄されてた人たちを救済する理想郷となるはずだった。

奴隷制度の防波堤となるべく、大土地所有や土地投機の禁止、奴隷労働の不要な絹を織る作業を入植者に強制するなど、理想先行の政策を実施する。飲酒も禁止された。

 こうした運営は、本国での借金地獄から抜け出せた入植者だけでなく、隣接する英領植民地からの反発も招く。

1750年には奴隷制が合法化され、稲作プランテーションの大農園が次々と誕生する。

1752年に評議員が特許状を国王に返還したときには、典型的南部スタイルが浸透していた。

 理想郷の建設という夢物語のようなプロジェクトが認可された背景には、裕福なサウスカロライナ植民地をスペイン領フロリダから守るための緩衝地帯が必要となった事情が関係している。本国にとって、債務返済不履行のために投獄された”ろくでなし”共は、スペインからの防波堤として適切な人材だった。