曇のち晴

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イギリス社会の一員としての経済活動①

航海条例(航海法)

 貿易収支が黒字になることを重視する重商主義に基づき、保護貿易が推進され、一連の航海条例が1651年以降制定される。外国商人との取引を禁止して市場から締め出すことにより、国内から富が流出するのを防ぎ、逆に国外からは富を吸い上げることが目的である。

さらにタバコ、米、さとうきび、インディゴ等を植民地と外国が直取引することも禁止し、植民地の富が本国に集まるようにした。一方で植民地には、船の建材となる材木の生産を割り当てた。

 植民地側に圧倒的に不利な経済鎖国政策だが、本国から5000km離れた植民地を厳正に管理することは不可能だった。本国から派遣された役人に賄賂を渡すことにより、堂々と密貿易を行えた。

外国との密貿易により、植民地経済は発展し、彼らは本国の製品を沢山買ってくれる上客になった。今でこそ先進国では高給取りだが、役人は薄給で、賄賂を取らないと生活が成り立たないのが現実だ。本国・植民地が双方が潤うウィンィンの状態は、「有益なる怠慢」と呼ばれる。