曇のち晴

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17世紀のイギリス

 13植民地の歴史を語るうえで、本国の歴史は避けて通れない。植民地の特許を複雑にしたのが、度重なる政変である。

 1639~60年に及んだイングランド内戦のクライマックスが清教徒革命である。チャールズ1世が1649年に処刑され、清教徒オリバー・クロムウェルを中心とした共和政府にとって代わる。

 彼の死後、1660年に王政は復古し、処刑されたチャールズ1世の長男チャールズ2世と次男ジェームズ2世が統治する。

 1688年には名誉革命によってジェームズ2世は退位に追い込まれ、娘婿のウイリアム3世がオランダから迎えられる。

 3つの政変により、4つの支配体制が存在したことになる。植民地は本国で革命が起こるたびに、新しい政治体制から認可を再取得する必要が生じたのである。認可が取り消されたり、逆に新たな植民地が認可されたり、複数の植民地が統合されたりと、様々な変化がもたらされた。

統治者の名前を順に挙げるとエリザベス1世ジェームズ1世、チャールズ1世、護国卿クロムウェル、チャールズ2世、ジェームズ2世、ウイリアム3世となる。